高野山慰霊碑

高野山慰霊碑
第二代 石橋会長による建立誌

弘法大師が1200年余り前に開いた霊場・高野山には、前橋陸軍予備士官学校の慰霊碑があります。この慰霊碑建立にあたっては、相馬原会の石橋信夫会長(当時)をはじめとする会員の方々が一丸となり、総本山金剛峯寺との間で永代使用に関する契約を結び、募金活動に奔走。全国のご遺族、同窓・同志の方々から多くの協賛資金を受け、昭和57年(1982年)10月に着工、昭和59年(1984年)5月に完成しました。

敷地面積は、25坪(82.5平方メートル)。英霊殿の右側に建立された慰霊碑の除幕式及び第1回の合祀慰霊祭(昭和59年5月実施)には、全国から同窓生・遺族およそ1,800名が集まりました。

慰霊碑には、前橋陸軍予備士官学校の卒業生約7,000名のうち、消息の分かっている方々の戦死・戦没者及び物故者のお名前が刻銘版に刻み込まれ、慰霊碑壁面に貼付されています。以来、現在に至るまで、新たに物故された会員のお名前を加えた霊璽簿を奉安する合祀慰霊祭が続けられています。

  • 慰霊碑壁面の刻銘版
  • 第1回合祀慰霊祭(昭和59年5月27日)
  • 第1回合祀慰霊祭(昭和59年5月27日)
  • 第4回合祀慰霊祭(平成2年5月26日)

和歌山県伊都郡高野町高野山

アクセス
南海高野線「極楽橋」駅下車、
高野山ケーブル「高野山」駅より
「奥の院」行きバス乗車、
「奥の院前」バス停下車徒歩10分

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友魂記念館
(陸上自衛隊 相馬原駐屯地内)

戦前・戦中、下級将校となるべく相馬原で学んだ若者たちは、国の大義に殉ずることこそ男子の本懐と教えられ、愛する父母や兄弟のために潔くその任に尽くし、祖国の勝利を信じて、厳しい訓練に耐え抜いてきました。

戦後、あの校門を巣立った友の姿を思うとき、同じ道を歩きながら生きて還れた同窓生たちは、母校の跡地に友の遺影を掲げ、遺品を飾り、その御霊の安らぎの館をつくろうと思い立ちました。

そして、昭和45年(1970年)、同窓生たちは前橋陸軍予備士官学校 相馬原会を結成。さらに、平成元年(1989年)4月には、1,400人余りの戦死・戦没者の遺影を掲げた友魂記念館第1号館が竣工しました。平成5年(1993年)3月、第2号館竣工にあたっては、ご遺族の手による平和観音像などが安置され、また、当時の生活を物語る多くの遺品や資料が展示されました。

ここに展示されている家族への手紙や遺書を読めば、今なお万感胸に迫るものがあります。友魂記念館は、祖国のために若き命を捧げた同窓の友の鎮魂の場であると同時に、悲惨な戦争の語り部として平和の尊さを末永く語り継ぐ灯火であるといえます。

記念館入口にある黒御影石の碑には、次の言葉が刻まれています。

この校に学び この門より征きて 還ることなき 友を偲びて 同窓の有志 之を建てて献ず

ここには相馬原会会員すべての思いが込められています。

  • 友魂記念館外観
  • 入口の石碑
  • 竣工時内覧(平成元年4月8日)
  • 友魂記念館内観
  • 友魂記念館展示物
    (前橋陸軍予備士官学校の当時の兵舎配置模型)
  • 前橋予備士官学校石碑
  • 石碑表
  • 石碑裏

陸上自衛隊 相馬原駐屯地
群馬県北群馬郡榛東村大字新井1017-2
TEL : 0279-54-2011(内線2301)

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※入館希望の方は、事務局または上記まで事前にお問い合わせください。

蓮花院
(前橋陸軍予備士官学校 相馬原会 菩提寺)

蓮花院は、弘仁8年(817年)に弘法大師 空海 が軍荼利明王〈ぐんだりみょうおう〉(様々な障碍〈しょうがい〉を除く、五大明王の一尊)の秘法を修して高野山に結界を張った草庵〈そうあん〉(修行を行うところ)です。また、德川総家菩提寺ともなっており、本堂には家康公を始めとする歴代德川将軍、尾張・水戸・紀州の御三家のほか、松平・德川所縁の方々がお祀りされています。

相馬原会では、当時の石橋信夫会長からご紹介をいただき、8期生の築野政次氏よりお世話を賜り、蓮花院を菩提寺と定めました。そして、第1回合祀慰霊祭が執り行われた昭和59年以来、ご住職の御導きにより合祀いただき、永代にわたり戦死・戦没者、物故者の御霊を供養し続けています。

  • 蓮花院正門
  • 蓮花院正門
  • 本堂内/蓮花院提供
  • 境内にある宿坊
  • 宿坊前の建立碑

和歌山県伊都郡高野町高野山399
TEL : 0736-56-2017

アクセス
高野山ケーブル「高野山」駅より「奥の院」行きバス乗車、
「千手院橋」バス停下車徒歩3分

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