昭和16年(1941年)8月、それまで岩手県盛岡市郊外にあった盛岡陸軍予備士官学校が、群馬県のほぼ中央に位置する相馬原(現在の群馬県北群馬郡榛東村)に移され、前橋陸軍予備士官学校となりました。以来、第6期生から12期生まで、さらに特別甲種幹部候補生第1期生及び第2期生が、この地で下級将校となるための教育・訓練を受けました。

開校から4カ月後の昭和16年12月、太平洋戦争が勃発し、各戦線へと送り出されていきました。昭和20年(1945年)8月、特別甲種幹部候補生第2期生が在学中に終戦を迎えましたが、その間、およそ7,000名の卒業生が戦線に参加し、1,400名余りが戦死・戦没されました。

昭和45年(1970年)10月、母校跡地における記念碑建立を期して、前橋陸軍予備士官学校卒業生および学校関係者により、相馬原会が結成されました。以来、今日に至るまで、戦死・戦没の同志、および遺族の消息を追い、その慰霊を続けながら、同窓・同期の交流を深める活動を続けています。

相馬原会の
シンボルマークについて

相馬原会組織図

本会
前橋陸軍予備士官学校卒業生・学校関係者
遺族会
前橋陸軍予備士官学校卒業生の戦死・戦没者、物故者のご遺族
二世会
前橋陸軍予備士官学校卒業生の息子、娘、おい、めい
三世会
前橋陸軍予備士官学校卒業生の孫

※相馬原会は「この会は前橋陸軍予備士官学校卒業生及び学校関係者の三親等以内の親族とその関係者を以って構成する。但し、その関係者とは、役員会の承認を得て会員とする」会であり、一般の方のご入会はお受けしておりません。(相馬原会会則